妻たちよ。あなたがたは、主に従うように、自分の夫に従いなさい。
なぜなら、キリストは教会のかしらであって、ご自身がそのからだの救い主であられるように、夫は妻のかしらであるからです。
教会がキリストに従うように、妻も、すべてのことにおいて、夫に従うべきです。

 

夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられたように、あなたがたも、自分の妻を愛しなさい。
キリストがそうされたのは、みことばにより、水の洗いをもって、教会をきよめて聖なるものとするためであり、
ご自身で、しみや、しわや、そのようなものの何一つない、聖く傷のないものとなった栄光の教会を、ご自分の前に立たせるためです。
そのように、夫も自分の妻を自分のからだのように愛さなければなりません。自分の妻を愛する者は自分を愛しているのです。
だれも自分の身を憎んだ者はいません。かえって、これを養い育てます。それはキリストが教会をそうされたのと同じです。
私たちはキリストのからだの部分だからです。
「それゆえ、人はその父と母を離れ、妻と結ばれ、ふたりは一心同体となる。」
この奥義は偉大です。私は、キリストと教会とをさして言っているのです。

 

それはそうとして、あなたがたも、おのおの自分の妻を自分と同様に愛しなさい。妻もまた自分の夫を敬いなさい。


「永遠の愛を持って、あなたを愛します。」

なんと美しい言葉でしょう。すべての人がれ、求め続ける理想の愛、それは「永遠の愛」です。

人はこの「永遠の愛」を、幼いときは母に求め、成長してからは、恋人や、結婚相手に求めます。

人生の心の旅路は、「永遠の愛」への旅であり、ここに幸せを見いだそうと、だれもが努力をおしみません。愛がなければ、世界は凍りつき、永遠に冬のままです。愛こそは人間の最高の理念、理想、願望です。

あなたは、神がこの「永遠の愛」を、人に誓っておられるのを知っていますか。


*結婚の誓い

キリスト教の結婚式は、新郎新婦が互いに手を取り合って、次のように誓います。「幸せな時も、苦しみの時も、豊かな時も、貧しい時も、健康な時も、病気の時も、あなたを愛し、あなたを守ります」と。それは、二人にどのような変化が生じても、互いに見捨てず、変わらず、忘れず、離れない愛。死に至るまで、互いのために生きる愛です。

キリスト教の結婚式での誓約は、神が人を愛される愛にならおうとしたものなのです。

神は花婿が花嫁を愛するように、人を愛されます。それは人が、崇高な「神のかたち、神の似姿」に、創造されているからです。(創世記1:26-27)


*愛、大切に思う心

今、日常的に使われる「愛」は「好き」「気に入った」「好みに合う」気持ちだと思いますが、「神の愛」は、聖書で「アガペー」と言い、このような単なる感情表現ではありません。

キリスト教が初めて日本に伝えられた時(1549年)、ギリシャ語の「アガペー」という聖書の言葉を、ふさわしい日本語に訳することが大変困難でした。なぜなら、聖書が伝えるキリストの愛は、どんな日本語も当てはまらなかったからです。

そこで、最初にキリストの愛を知った当時の日本人(キリシタン)は、その言葉を「」と訳しました。相手をなによりも大切に思う、かけがえのない存在だと思う、自分の命のように思う、ということです。


*十字架の愛

まことにキリストの愛は、自分の命よりも相手を大切の思う心でした。この「アガペー」、「永遠の愛」は、イエス・キリストの十字架の死によって実現し、この愛はすべての人に向かって、今日も生きているのです。花婿であるキリストは、わたしたちを花嫁のように愛し、罪から清め、美しい心に変えて、天国へ迎えてくださいます。

新約聖書は、十字架につけられたキリストを、「神は愛なり」と示し、その栄光を賛美しています