エドムからの水

 

 イスラエルとモアブが戦争状態の時、イスラエルの預言者エリシャは先ず、立琴をひく者を呼び寄せて讃美させました。すると主の御手がエリシャの上に下り、彼は主の啓示を受けてイスラエルの圧勝とそのために成すべきことを具体的に預言しました。成すべきことは、谷に溝を掘ること。

 

それは、この谷に今から水が溢れ満ち、この水により奇蹟を主が成されるからです。讃美の力はまことに偉大です。主の御前、人生のさまざまな戦いの中で人間的な解決手段をとろうと走り周って試行錯誤する以上に先ず座って、主に向かって讃美を捧げるなら、主から最も良い考えもしなかったすばらしい啓示と成すべき明確なビジョンが預言されます。

 

サウルの場合もロバ捜しに走り周って疲れ果て途方にくれているとき、神のギブアにて盛大に讃美を捧げる預言者の一団に出会い、その讃美の臨在の中で主の霊が激しくサウルに注がれて新しい人に変えられ、王位につくという明確なビジョンが与えられました。

 

 私たちは何をするにも人問的考えをわきにおいて先ず、神の国と義を第一に選択し、主を讃美してあがめることから始めましょう。エリシャ率いるイスラエル軍は、讃美のうちに示された主の啓示に従い谷に溝を掘りました。

 

翌日、朝になってみると、なんと集中豪雨のため川からあふれ出た大量の水がエドムのほうから流れて来て、この地は水で一杯に満たされていました。敵軍のモアブは武装して国境の守備につきましたが、ちょうどこの時間、昇る太陽が水のおもてを特に赤く照らして反射していたため、それは水ではなく赤い流血だとモアブは誤解して戦略を誤って言いました。

「これは血だ。きっと王たちが切り合って同士打ちしたに違いない。さあ今モアブよ、分捕りに行こう。」(第二列王記323

 

 こうしてモアブの軍隊は惑わされて早合点し、心の武装を解除した安心状態でイスラエルの陣営に分捕り目的で喜んでのんびり攻め入ると、なんとイスラエル軍は相変わらず同士打ちもなく、元気一杯にしっかり武装したまま立ち上がって力強く応戦してきたため、血のような水に惑わされて誤判断を下し、心底油断しきっていたモアブの軍隊は包囲されてことごとく打ちのめされ、勝利の軍旗はイスラエルにひるがえったのです。

 

 ここに霊の戦いをする神のイスラエルなる私たちも、容易に敵軍なるサタンの軍隊を惑わし、混乱させ、徹底的に成敗して、打ちのめすことのできる戦略があります。

 

それは主を讃美して臨在のうちに現われる奇蹟、イエスの十字架の血潮の溢れ流れる川から、その流れを敵軍に見せつけることです。サタンはイエスの血潮の流れを見ると、頭がボーッとして、くるくる回って狂ってしまい判断を完全に誤り、戦略も間違ったまま盲目的に突入してしまい、後は容易に滅ぼされてしまう愚かな存在です。イエスの血潮が流れる所はいつでもどこでも奇蹟が伴ない、私たちに勝利の旗がひるがえるのです。