いやしと健康
第四にイエス・キリストの血潮は、私たちをいやして健康を与えます。
むち打ち
私たちの呪いが除かれるといやしも体験できます。
「主がこれ(アッシリヤ)に下す懲らしめのむちのしなうごとに、タンバリンと立琴が鳴らされる。主は武器を振り動かして、これと戦う。」(イザヤ30:32)
この意味は、主は罪を犯すアッシリヤヘの懲らしめのむちとして、イスラエル軍を用いて聖戦を預言されました。イスラエル軍はここで主の御手にある、懲らしめのしなうむちとして働き、アッシリヤ軍を倒して後、勇ましく帰還し、その時にイスラエルの女たちがタンバリンと立琴で讃美のうちに男たちを迎えます。ですからアッシリヤヘのむちの音とは、鳴り響くタンバリンと立琴です。
そして、このことがイエスさまのむち打たれるその時について象微的、預言的に現わしていました。
「彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。」
(イザヤ53:5)
「わたしは主、あなたをいやす者。」(出エジプト15:26)であるイエスさまは、ピラトの庭で激しくむち打たれ肉体が砕かれました。キリストが肉体的に苦難を受けたのは、私たちの平安といやしを受けるための身代わりです。
「ピラトは彼らのためにバラバを釈放し、イエスをむち打ってから、十字架につけるために引き渡した。」(マタイ27:26)
ローマ兵たちはその時「ユダヤ人の王」を皮肉り、ユダヤの律法の慣習に従い、罪人を罰する中でも一番厳しい最高三九回までのむちを与えたのです(申命記25:3、第ニコリント1:24)。
あたかも愚か者を罰するごとくにです(蔵言19:29)。
三九回のむちとは、刑務官から打たれる自由人にとって最も不名誉な精神的屈辱であり、肉体的にも死の直前までの最大級の痛みです。四〇回までむち打つと罪人が死亡する可能性さえあり、これを越えないように三七回、三八回、三九回とむちのしなうごとに数え上げる、タンバリンや立琴によらない人間の罵声がピラトの庭に響きわたり、その日、旧約聖書の預言がそのまま成就しました。
「彼らはあなたが打った者を迫害し、あなたに傷つけられた者の痛みを数え上げるからです。」
(詩篇69:26)
イエスさまの両手は、鉄製の鎖の付いた手錠がかけられて逃げられないようくいに縛り付けて固定した上で、むき出しにされ背中にむちが直接打たれました。
当時のローマ軍のむち打ちは両側に立つふたりから交互に連続して打たれる拷問であり、フラグルムと呼ばれるむちは一本の先が五~六本にも分かれており、その一本一本には、わざと傷□をひどくするための骨や鉛の突起物がいくつも結びつけていました。
ですから、先が五本のむちで三九回むち打った後は、五×三九=一九五の傷口が、先が六本のむちなら六×三九=二三四の傷口ができました。どんなにひどい懲らしめでしょうか。
イエスさまは二百前後の傷□を後遺症として背中と長く巻きつくむちの先端で前面にまで受けられた後、ここでも預言が成就しました。
「彼らは私の若い頃からひどく私を苦しめた。彼らは私に勝てなかった。耕す者は私の背にすきをあて、長いあぜを作った。」(詩篇129:3)
耕す者であるふたりのローマ兵によりむちという名のすきを受け、イエスさまの背中は耕されたため、むちの突起物の引っ掛かりで引き裂かれた背中の深い傷□が一筋、一筋と真っ直ぐ長いあぜのように掘られてしまったのです。加えてそこにパウロの目を痛めたような中東の宙を舞う砂ほこりが、外で露出の肌の傷口にくっつき、そこに合併症のような炎症を引き起こして腫れ上がりました。
そのため背中はちょうど溝が掘れて土が両側に盛り上がった長いあぜ道のようになり預言が成就しました。長いあぜ道のような真っ直ぐ続く打ち傷の一筋一筋からイエスの血潮が赤く大量に流れ出て来ました。しかし、このようなキリストの苦難だけでなく詩篇記者が預言的に、「彼らは私に勝てなかった」(詩篇129:3)とも大胆に主の勝利宣言をしていることには、意味がありました。
「キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたはいやされたのです。」(第一ペテロ2:24)
イエスさまの逆転大勝利を告白ができたのは、この血潮のゆえにこそいやしの奇蹟が起きるからです。イエスさまが肉体的に砕かれたのは、私たちが肉体的に平安を受け、全くいやされるためだったのです。
宙を舞った三九回のむち、ここにも意昧がありました。現代医学ではすべての病気の種類をジャンル分けすると、ほぼ三九種類になるそうです。すなわちイエスの血潮はすべての種類の病をいやす能力があるのです。
さらにイザヤ書五三草四節では「まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった」とあり、彼は病と痛みの両方を担われたとは、病気の根本原因なる病原菌や病原体だけでなく、これら病の結果もたらされた痛みであるストレスや苦痛からも解放してくださるという意味であり、まさに現代医学の追究している完全治療をイエスさまは与えてくださいます。
虫歯に例えるなら、ばい菌を殺し歯を治療するだけでなく、虫歯による痛み、精神的ストレス等の苦痛も除く全面治療の力なのです。
また、使徒の働き三章七節では、生まれつき足なえの男に対してイエスさまの御名の権威は驚異的いやしを与えています。
「金銀は私にはない。しかし私にあるものをあげよう。ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい。」
使徒ペテロが命令して右手を取って足なえを立たせると、たちまち彼の足とくるぶしが強くなり踊り上がり、真っ直ぐに立ち、歩き出し、歩いたりはねたりしながら、神さまを讃美して宮に入っていきました。彼は肉体的にも霊的にも足なえがいやされ救われました。
いやしの喜びで心もいやされたことでしょう。使徒の働きを書いたルカ自身その職業は医者だったため、ここでルカは医学的専門用語を多く用いながら、そのいやしのさまをまるでカルテを書くかのように詳細に報告しています。注目すべきは、四〇年以上も歩かなかった男性です。通常なら四〇年間も使っていない足は細く筋肉もほとんどついてなかったはずです。たとえ瞬間的にいやされて歩き出したとしても、ジャンプするとすぐにまた倒れて弱った骨が折れるくらいです。
しかし、ペテロを通し現われたイエスさまのいやしは、立つや否や歩き回り、はねることもできたほどの完全ないやしだったのです。通常、いやしの後、何カ月もかかる歩行訓練であるリハビリテーション付きの完全ないやしだったのです。イエスの血潮の力を讃美します。
このようにイエスの血潮によるいやしは、三九、すべてのジャンルの病を霊的、精神的、肉体的に根本から瞬時にいやすリハビリテーションつきの完全治療です。いやしの三つの要素について、もっと深く学びたいと思います。
国連WHOでは健康の定義を「体の健康、心の健康、社会的に健康であること」としましたが、聖書的にはこの社会的が霊的に健康と変われば正解です。三位一体の神に似せて創造された人間(創世記1:26)は、霊、魂、体の三要素で構成されています。人間の敵なる霊的な病の根源サタンと、精神的な心の病と、肉体的な病と戦う必要があります。人間の持つ三つの心の動き、知情意をしっかり管理してサタンと罪悪と肉欲に勝ちましょう。人間は動物よりもっと強く長生きすることは霊魂を持つゆえんであり、三つよりの糸は簡単には切れない(伝道4:12)ように、霊魂肉をバランスよく管理すれば、人間はさらに長生きできます。
使徒パウロは「あなたがたの霊、たましい、からだが完全に守られますように」(第Ⅰテサロニケ5:23)と祈り求め、使徒ヨハネも祈りました。
「愛する者よ、あなたが、たましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、また健康であるように祈ります。」(第三ヨハネ2節)
初代教会では、霊・魂・肉、三領域における人間のいやしと祝福を指導していました。私たちは皆、神さまの家族として同じイエスさまの聖なる血潮を受けた血族です。
イエスの血潮の流れるキリストの御体なる教会員の痛みとは、そのまま全体の痛みであり頭なるキリストの痛みです。それゆえイエスさまのためにも霊・魂・肉いやされる必要があります。
中国、北京駅前で「人間サンドバッグ一発十元(約二〇〇円)」と書かれたシャツを着て殴られ屋をする男性が中国で話題となりました。この男性は、息子が白血病に罹り、骨髄移植の手術代七〇万元(約千三百六十万円)を払うことが到底できず、家を売却するもなお、多くの借金。そこで思いついたのが「人間サンドバッグ」。
当初、息子の病気のことは信じてもらえず、単にお金を稼ぐためと思われ、掲げている通りに一発十元で殴られ続けていたといいますが、このことが現地メディアで取り上げられると、父親のもとに殴ることなく寄付をしたいという多くの善意が集まり、結果八〇万元(約千五百五十万円)を調達することができたそうです。中国にはまだまだ善意の人たちが大勢います。
我が子の癒しのために必死になって恥も、殴られることさえも恐れず、立ち続けた父親の勇気と愛の中にイエス様の十字架を思います。イエス様の打たれたむちを耐え忍ばれた傷口の血潮は、無言に私たちの癒しを信じて願う、神の愛を語りかけます。