ハム

 

 創世記九章二〇節以降では、ノアは洪水の審判後、神の再び洪水を起こさないという契約のしるしの虹を見て信じ、洪水を警戒することなく信仰で農夫となり葡萄畑を作りました。

ところが彼が洪水の緊張から解かれ油断したある日、自然発酵した葡萄酒を飲んで酔ってしまい、天幕の中で裸になっていたところを、父ノアの失態の第一発見者ハムがこれを面白がり、他の二人の兄弟に告げたのです。しかし、セムとヤペテは着物を取り、ノアの裸を見ることなくこれを覆い隠しました。酔いが醒、一部始終を知ったノアは、末の息子ハムの罪悪を知り、ハムを呪い、他の兄弟たちには祝福を宣言しました。ノアが五百歳になったときに生まれた彼ら三人の(創世記532

運命は全く異なりました。まずここで祝福されたセムヘの御言葉とは

「ほめたえよ。セムの神、主を。カナンは彼らのしもべとなれ」ですが、セムには特に礼拝語の「ほめたえよ」や「セムの神、士を」などすべて霊的、宗教的な使命が預言されました。

 

今日セムは黄色人種の祖先と言われますが、確かに東洋には数多くの大きな宗教があり、中でも中東はキリストが来られた発祥の地として世界的な注目を浴びています。東洋人は霊的に祭司長のような使命が与えられたのです。

 

 また、祝福を受けたヤペテヘの御言葉とは

「神がヤペテを広げ、セムの天に住まわせるように」ですが、ヤペテには特に「広さ」や「天幕」に象徴する物質的な祝福の使命が預言されまし。今日ヤペテは白色人種の祖先と言われますが、確かに西洋は一般的に東洋より広く立派な家を持つ先進諸国が多く、物質的に祝されたその財力を背景に宣教師が世界に多く送り出されたのです。そして文字通り神さまに広げられたヤペテは広い国の他、人自体も背が高く広げられており、セムの天幕に往むという祝福通り、歴史的に多くの資源を東洋諸国から安く輸して栄えてきました。

 

 一方、呪いを受けてしまったハムヘの御言葉とは

呪われよ、カナン。兄弟たちのしもべらのしもべとなれ」ですが、ここでノアが罪を犯したハム本人ではなく、その子のカナンを呪ったのには象徴的な意昧があります。呪いとは父から子へと代々降りて行くものだからです。事実その後のハムの歴史を見るとやがて時代が流れ、力ある猟師として名をあげた最初の権力者ニムロデが、このわれたハムの子孫から立ちがりシヌアルの平地に、バベルの王国を築きました。しかし、この王国は洪水を警戒する高い塔築かれ、契約のを無視しものとして、主の御言葉に真っ向から挑戦し、加えて全地の表に産み、増え、広がるものではない、反対に一つ所に集まる背信の王国でした。

 

 それゆえ、不信仰と傲慢の象徴とも言うべきバベルの塔は、主に打たれ呪われたものとして言葉は分裂し、彼らの反逆は失敗して地の全面に強制的に散らされたのです。その後も呪われたハムの子孫、カナン人は集まり王国を築きました(創世記1019)。

 

それはソドムとゴモラの町、男色と罪悪に満ちた町として主に忌み嫌われ、滅ぼされてしまいました。その滅亡は、雷を伴った地震により、吹き出した天然ガスに火がつき、硫黄、瀝青、噴出した石油にまで引火し、巨大な火の海となったすさまじい審判の様子が、今日の考古学者による遺跡発掘調査で判明ています。聖書ではこの災害を「硫黄の火を天の主のところから降らせた」(創世記1924)と言います。

 

ノアの三人の息子たちは白人・黄色人種・黒人であり、末の子ハムは黒人の祖先だったと言います。黒人の歴史は確かに奴隷として強いられ、兄弟白人や、黄色人種のしもべらのしもべとなったことが多くありました。これは絶対、神が呪われた奴隷制度を協賛したものでも認めたものでもなく、人の罪悪の結果として引き起こされた呪いが、代々伝わった悲劇だったのです。しかしこれを悟り戦う時、イエスの血潮がすべての呪いを断ち切り、今の黒人教会やアフリカのような偉人なリバイバルの祝福を実現できるのです。