24人の長老

 

 

 

彼が巻き物を受け取ったとき、四つの生き物と二十四人の長老は、おのおの、立琴と、香のいっぱい入った金の鉢とを持って、小羊の前にひれ伏した。この香は聖徒たちの祈りである。」(黙示録58)

 

 

黙示録五章八節では、天国で四つの生き物と二十四人の長老が神さまを賛美礼拝する姿が書かれています。四つの生き物は四福音書を象徴する四人の特別な御使いで、二十四人の長老は旧約の十二部族長と新約の十二使徒の合計二十四人と思われます。彼ら長老たちは元、地上に住んだ人間であり、今は死後に移された神の国で天国人です。この人たちが優先的に最初に神様を賛美しています。

 

 

「彼らは、新しい歌を歌って言った。「あなたは、巻き物を受け取って、その封印を解くのにふさわしい方です。あなたは、ほふられて、その血により、あらゆる部族、国語、民族、国民の中から、神のために人々を贖い、私たちの神のために、この人々を王国とし、祭司とされました。彼らは地上を治めるのです。」(黙示録5910)

 

 

これら二十四人の長老たちの賛美に続いて無数の天使たちも賛美します。

 

「また私は見た。私は、御座と生き物と長老たちとの回りに、多くの御使いたちの声を聞いた。その数は万の幾万倍、千の幾千倍であった。彼らは大声で言った。「ほふられた小羊は、力と、富と、知恵と、勢いと、誉れと、栄光と、賛美を受けるにふさわしい方です。」(黙示録51112)

 

 

最後は生き物たちも天国にいて神さまを賛美します。

 

「また私は、天と地と、地の下と、海の上のあらゆる造られたもの、およびその中にある生き物がこう言うのを聞いた。「御座にすわる方と、小羊とに、賛美と誉れと栄光と力が永遠にあるように。」

(黙示録513)

 

 

ここで大きな違いは優先順位第一に二十四人の長老たちが賛美できることです。天国で私たち聖徒は出世した者のように神様に認められて将来、御使いたちよりも偉くなります。

 

「私たちは御使いをもさばくべき者だ、ということを、知らないのですか。それならこの世のことは、言うまでもないではありませんか。」(第一コリント63

 

さばかれる御使いは、堕落した天使の悪霊が私たち聖徒によって裁かれるという意味ですが、かの日には上下関係が変わります。現在では命のくらいが第一に神さま、第二に御使い、第三に人間、第四に動物、虫、植物となっていますが、将来の天国では、第一に神さま、第二に人間、第三に御使い、第四に動物、虫、植物と変わります。

 

 

また、賛美に特徴点があります。その歌詞には「その血により」という言葉で聖徒だけがイエスの血潮を賛美しています。無数の御使いも生き物もイエスの血潮を賛美する特権には預かれません。なぜなら私たち人間だけが唯一、罪を犯して堕落した後、悔い改め、イエスの血潮で赦され、清められて救われた体験ある、特別な存在だからです。天国の御使いたちは堕落もあがない体験もありません。堕落した悪魔に救いは永遠にありません。ただ人間だけがイエスの血潮で救われ、人間のためにイエスの血潮は流されたのです。

 

こういう訳で天国では我ら聖徒だけがイエスの血潮を賛美できる特権があります。その賛美の歌詞も御使いや生き物の賛美と比較して文字数が一番多くて長く、優先的に神さまを最初に賛美礼拝できる立場にあります。ハレルヤ!

 

地上でもイエスの血潮を歌詞に導入した賛美を沢山歌いましょう。最も力ある特別な賛美がイエスの血潮だからです。

 

 

 コロサイ人への手紙115にはイエスさまについて「御は、見えない神のかたちである」とあり、イエスさまは父なるつであって、その肉体の命なる血潮は、人の罪を清める父なる清さをそのまま直接受け継いだ特別な血統だったということを理解するために、一つのたとえ話をしたいと思います。

 

 

最近バイオテクノロジーの分野で、特に日本が盛んに研究実践している遺伝子組替えによるクローン牛というものがあります。高品質の霜降り牛を安定的に大量供給できるを夢見て実験されていすが、その生産方法は通常の交尾による牛の受胎法とは根本的に異なるものです。

 

 まず優秀な血統を持つ、霜降りの高級オス牛の耳や背中のような皮膚からDNA細胞を取り出します。次にメス牛から卵細胞を取り出し、これを弱い電気刺激の力で電子顕微鏡で見ながら卵細胞の中に直接オス牛のDNA細胞を入れて受精させます。これが成功すると卵細胞は核分裂を始めます。そしてこのような状態になった卵細胞をメス牛の胎内に再び戻すと、そのまま身ごもり出産出来す。

 

しかもこの場合、クローン胚は精子を使わず、卵子からも核を除いているので、これら生殖細胞から遺伝情報は引き継がず、生まれた子牛には父親のオス牛から体細胞の遺伝情報による血統だけがそのまま受け継がれ、母親のメス牛の性質は一切受け継がない、父牛と全く同じコピーのような子牛だけが誕生出来るのです。そのため父牛が優れていればそのまま血統ある父牛どおりの優れた高級牛だけが大量生産可能となるのです。現在、この試みは動物実験に限られ、人体実験においては全世界的に禁止しておりますが、実に理論的には全く同じことが人にも成り立つそうです。

 

 

 詩篇13915-18節では人間について「私がひそかに造られ、地の深い所で仕組まれたとき、の骨組みはあなたに隠されてはいませんでした。あなたの目は胎見の私を見られ、あなたの書物にすべてが、書きしるされました。私のために作られた日々が、しかも、その一もないうちに。神よ。あなたの御思いを知るのはなんとむずかしいことでしょう。その総計は、なんと多いことでしょう。それを数えようとしても、それは砂よりも数多いのです。」とありますが、天国の神さまの書物には文字通り個人情報のすべてが書きしるされており、地上でもこれに似た設計図のようなDNAが人体にあります。

 

それは私ちの脳内細胞は約三十億もあり、その一つひとつの細胞の中にはさらに染色体があり、染色体の中には三万から四万個ほどの遺伝子が収まってます。その遺伝子の実体はDNAという物質の連なりであり、これは血液細胞から白血球を取り出して特殊な処理をすると砂よりも数多い個人的な遺伝情報を書きしるされたヒトゲノムというタイトルが付いた書物のようなDNA(デオキシリボ核酸)が出てきます。このDNA細胞という設計図を使った繁殖技術です。すなわち人問の受胎法にも二通りありうるのです。

 

一つは通常どおり、結婚した男女間の結合により種を受けた女性が身ごもるものであり、この場合、生まれる子供は父親と母親の両者の性質を掛け合わせ持つことになります。

 

 

 しかし、もう一つの受胎法は、男女の結合なきマリヤのような処女でも可能なものであり、それは男性のDNA細胞を皮膚から取ったものを、女性から直接取り出した卵細胞に弱い電気刺激の力で直接入れてから核分裂させ、これを再び女性の胎内に戻す方法です。もし、この受胎に成功すれば、理論的には母親の性質は全く持たない、父親のDNA細胞の設計図どおりのコピーのような完全な現われとして、全く父親と同じ性質を持つ子供を出産出来るのです。

 

 イエスさまの生誕は、たとえてみると、これに少し似た面を持っており、母親マリヤの子宮内には一つの生命が宿る過程で、人間の種以外の何らかの神さまよりの神秘的な直接の働きかけがあったとは確かです。

 

「私は生まれたときから、あなたにいだかれています。あなたは私を母の胎から取りげた方。私はいつもあなたを賛美しています。私は多くの人にとっては奇蹟と思われました。あなたが、私の力強い避け所だからです。」(詩篇7167

 

その奇蹟とは旧約聖書中、繰り返し預言されていた救い主キリストの生誕についてのロゴスの御言葉がある日、突然、天の御使いによりレイマの直接の父なる神よりの御言葉となってマリヤに受胎告知されました。「おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます。」(ルカ128

 

「ご覧なさい。あなたはみごもって、男の子を産みます。名をイエスとつけなさい。(ルカ131

 

 

このレイマの御言葉が、父なる神よりのDNA細胞のごとく生きた種となってマリヤに入り、その瞬間、処女マリヤの胎内に働きかけた弱い電気刺激のような働きかけが、聖霊さまの感動、感化だっのです。それゆえ、マリヤは処女にもかかわらず身ごもることができ、やがて、時満ちて生まれ出たお方、キリストは生まれつき人間の罪の種を全く受けずに、父なる神より直接レイマの御言葉の種だけを受け「神の言葉」として父なる神と同一のご性質を合わせ持ち、ヨセフの種もマリヤの性質も一切受け継ぐことなく、ただ父なる神さまのコピーのように同一のイメージと栄光の完全な現われとして御父と全く一つになって世に産まれて来ることが出来た、まさに神さまがそのまま人間となった救い主なのです。そのためその命であるイエスの血潮こそ正統的に純粋な父なる神よりの由緒正しい血統であり、人間の罪が全く交わらなかっ聖なる命の源流であり、このような尊い血潮が十字架上注がれたのです。