えにしだの木

 

イシュマエルは肉体的に飲み水がない死の試練を受けましたが、精神的に否定的考えで死の試練を受けた人に預言者エリヤがいます。エリヤは国権発動による国家的迫害を恐れて精神的に弱くなった時、ベエル・シェバの荒野に一日の道のりを逃げ、そこにあったえにしだの木陰に座り込んで自分から否定的な祈りをしました。

 

「主よ。もう十分です。私のいのちを取ってください。私は先祖たちにまさっていませんから。」(第一列王記194)。

 

 この祈りに対して、小さな人間の迫害にきく動揺するエリヤを力づけようと、いなる天地を造られ、自然と万物の法則すべてを支配しておられる偉大な全知全能の力ある主ご自身を悟らせようと、主は仰せられました。「外に出て、山の上で主の前に立て。」(第一烈土記1911)。従順なエリヤは登山して主を待ち望みました。そこで、主は不思議な神秘的臨在感をもって超自然的に栄光を現わされました。

「そのとき、主が通り過ぎられ、主の前で、激しい大風が山々を裂き、岩々を砕いた。しかし、風の中に主はおられなかった。風のあとに地震が起こったが、地震の中にも主はおられなかった。地震のあとに火があったが、火の中にも主はおられなかった。火のあとに、かすかな細い声があった。

(第一列王記191112

 

 エリヤはこのかすかな細い声を聞いたあと、成すべき使命を受け、弟子訓練という新しい領域の働きました。

 

 今も私たちが行き詰まり、死を願うほどの試練を受けてしまう時、私たちのえにしだのなる十字架の下で、イエスの血潮を仰いで祈れば、主は再び立て直される成すべき人生計画を聖霊さまの臨在の内に啓示して下さいます。エリヤが山の上で見た栄光体験は、まず主が通り過ぎられる光景でした。これは神さまが人となって世に来られ、十字架で勝利されて、昇天されるまでの人類史に直接介入れた通り過ぎられたイエスさまの栄光を現わします。

 

次に主の前で山々、岩々を砕くほどの激しい風とは昇天されたイエスさまに代わって注がれた家全体を揺すぶるほどの激しい風と地震で臨在さた聖霊さまを現わします。聖霊さまはペンテコステの、突然、天から、「激しい風が吹いて来るような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡っ。また、炎のような分かれた舌が現われて、ひとりひとりの上にとどまっ。」(使徒234

 

生ける神であり、風のあとは家全体に響く地震、地震のあとは炎で臨在されたお方です。しかし、エリヤの目撃同様、火の中にも主はおられず、これらはすべては力に満ち溢れる聖霊さまの臨在の現われでした。今も聖霊さまは肉眼で認識できる形や現象自体の中に動く単なる力やエネルギーではなく、その現われとしての聖なる臨在感の中からかすかな細い声をもって、御心のままに語られる知・情・意を持たれる人格ある神です。

 

マルコの二階部屋にいた弟子たちは炎の聖霊さまを受けてから変えられ、かすかな細い声である御使いの異言を語り、解き明かしの賜物で、人の異言なる外国語で預言的福音を胆に語る者にリバイバルされたのです。それは弟子たちにとって今だ考えも及ばなかった高められた希望の新しい次元の体験でした。聖霊さまのかすかな細い声なる啓示とはいつも私たちの信仰が落ち込んだままの霊的に低い状態ではなく、熱く信仰に満ちて霊的に高く上げられた超自然的で圧倒的に人知を超越した臨在感の中でご自身の御心は預言的に啓示されす。

 

「地を造られた主、それを形造って確立させた主、その名は主である方がこう仰せられる。わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理解を越えた大いなる事を、あなたに告げよう。」(エレミヤ3323

 

 アメリカのクリスチャンで民間の探検家であり考古学者でもあるロン・ワイアット。彼はトルコ政府公認のアララテ山上ノアの箱舟残骸発見者として、一九八七年にノアの箱舟国定公園設置の際、特別ゲストとして招かれた人であり、モーセの出エジプトの現場を塩の海の海底に古代戦車の残骸と共に発見した考古学者であり、ワイアット考古学研究所(WAを組織しました。彼は一九八二年一月に、さらに大きな世紀の大発見をしました。契約の箱、失われたアーク発見です。

 

 その次第はこのようです。一九七八年、彼が子供たちとヘブル人の出エジプトの際、奇蹟的に水が裂けて壁となったあと、再び元に戻って塩の海に生きたまま飲み込まれたパロ王ひきいるエジプト全軍の戦車の残骸を海底に探す潜水調査をしていました。実際エジプト・カイロの博物館には王朝時代のパロ王たちのミイラ二五体が収蔵されておりますが、メルネプタハ王のミイラだけは他のものと死囚が異なり、通常は皮膚が赤褐色のはずがこのミイラだけは白っぽい色で全身に塩分が付着しており、顔の形もくずれ、眉毛も直接書いた跡があり、耳には魚に食われた跡もあり、三年問の調査の結果、このパロ王は塩の海で水死したと結論づけられております。

 

聖書にはパロ王自身もヘブル人のあとを直接追跡して海に入ったとあり、海辺にはエジプト人の死体があがったことも書かれてあります(出エジプト142330)。しかしながら、この時の潜水調査はロン氏の足がはれて痛んだため潜水中断となり、残念ながらアメリカに帰国することとなりました。帰国を待つある、ロン氏はホテル近くにあった、ゴードン大佐によって特定されたイエスの十字架張り付けの地として有名な観光地である岩の斜面にどくろの面があるカルバリ断層を地元の権威者と、ローマ古器物について話し合いながら歩いていました。

 

すると、ある場所に来たその時、彼らは歩くことをやめ突然ロン氏のが白分の意志にはよらないで、聖霊さまの圧倒的な力で動き出し、無意識のうちに地面の一角を指し示して止まったのです。しかも、ロン氏のくちびるからは明確な預言が超自然的にその場で語られたのです。

「それは、エレミヤの咽もとである。そして契約の箱の埋められた地である」

 

ロン自身それまで「契約の箱」の発掘については考えたこともなかったのですが、この時一緒にいた地元の権威者も不思議なことにこれを受けて言いました。

「それはすばらしい!。私たちはあなたに発掘を願って許可を与えましょう。あなたの泊まる所と毎の食事も提供しましょう」

 

 ロン氏はそれ以降、不思議な聖霊さまによって語られた預言に導かれ、この地の採掘権を正式に得て、末だ誰も発掘したことのないまさにどくろの面を崖の斜面にもつ岩棚の真下を垂直に掘り始めて行ったのです。地元の土方アルバイト雇いながら、息子たちと共に、大量に蓄積された重い岩と砂を次々と取り除く気の遠くなるような入念な発掘が成され、やがて彼らのチームが発見したものとは失われたアークである契約の箱だったというのです……。

 

 民間の考古学者として、年間の半年をアメリカの医療施設で働き、他の半年を発掘調査に自費で費やすという大変困難な作業に生涯献身できたロン氏にとって、時には発掘を断念しようかと思うほどの困難もあり、そのような彼を変える神さまの激励体験もそこにありました。それは契約の箱を守り続けるケルビムのような実際の天使に出会ったことです。

 

 ある、彼は預言者と共に契約の箱があるほら穴入り口の地面に座り、他の労働者たちはほら穴の中にいました。彼は自分が隠れるほど掘り下げた地面に座ってレーダースキャナー(電波断層探知機)の紙を取り替えるなどの作中で預言者は大きなやぶの陰で食事を食べていたその時です。ロン氏ひとりが背後の上にある地面から語り掛ける声を聞きました。

 「あなたがここでしていることを、神さまは祝福します」

 

 見上げるとそこには背の高い黒っぽい髪のすらりとした男が、聖書の時代に着ていたような頭をおおうすべてが純白な長いローブの上着を着て立っていました。驚いたロン氏はここでの発掘作を誰にも教えていなかったため、この人が誰であるかを不思議がりながら、丁寧な会話調で、彼がもしや近所から来た人であるかとたずねました。彼は単に「いいえ」とだけ答えて沈黙しました。そこでロン氏は彼が旅人であるかとたずねました。すると彼は再び「いいえ」とだけ答えてさらなる沈黙が続きました。それから白い服を着た人物は言いました。

「私は南アフリカから新しいエルサレムに行く途中です」

 

ロン氏は驚きのあまり何も言えずに、彼をじっと見つめるだけでした。その人は再び言いました。

「あなたがここでしていることを神さまは祝福します」

 

それから彼は背を向けて立ち去りました。その直後、やぶの陰に隠れていたため彼を見られなかった預言者は言いました。

「ロン。私たちはずっと天使に話しかけていたと思いませんか?」

 

契約の箱の発見者ロン自身は、の洞窟に四度入ったことから、さらに細かな証拠資料を保存していると思われますが、一般公開されないまま残念なことにロン氏は一九九九年八月に、すでに召天しており、その後のイスラエル政府による発掘現場埋め戻し命令によって、今は誰も手がつけられない状態でそのままそこに眠っています。

 

ここで取り上げた一部の公開された情報と写真はWARの後継者団体から著作権の許諾を受けたため転載しております。さらにもう少し詳しい情報は最後の方に書いてあります。聖霊さまの超自然的啓示によって動かされた献身者の証でした。

 

 図1はノアの箱舟残骸の写真です。図2、3は塩の海海底で発見されたパロ王ひきいるエジプ卜軍が実際、軍馬に引かせた立ち乗り二輪戦車の残骸のうち車輪部分の写真です。図4、契約の箱の写真は模型のものです。

 

 ここでロン氏による、これら預言に導かれた実際の発見よりもはるか以前に、本当のゴルゴダの場所とその真下には、契約の箱があることをも事前に指摘していた著名なカトリック修道女である預言者力タリナ・エンメリック(一七七四-一八二四)の記録をご紹介いたします。

 

「私は、ゴルゴダの丘深く、イエスさまが(はり)つけにされた地点の真下、水の層にほど近いほら穴に眠るアダムの骨を見ました。私は、中を覗きアダムの骨が、右の腕と足、右のあばらの一部以外は、完全に保たれているのを見ました。右のあばらから覗いたとき、左のあばら骨がはっきり見えました。右脇には、主が取り出されたときと正確に同じ位置に、エバのどくろが横たわっていました。アダムとエバの眠る場所については色々と議論されていますが、私は、二人が私の見たその場所に常にいたことを示されました。洪水以前、この地点に丘はありませんでした。その出来事とともに、初めてこの地点に一つの丘が現われました。墓は水から守られたのです。ノアは、箱船の中に彼らの遺骨の一部を持ち込み、最初の礼拝を行なったとき、祭壇の上に並べました。アブラハムも後の時代に同じことを行ないました。彼は、アダムの骨をセムから受け継いだのです。

 アダムの骨の真上、ゴルゴダの丘で行なわれたイエスさまの血の犠牲は、遺骨を下に納めた契約の箱の上で行なわれる礼拝を予したものでした。父祖たちの行なったいけにえは、そのための準備にすぎませんでした。彼らもまた、聖遺物を所有し、それによって神さまの約束を思い起こしたのです」 

 

なんと、十字架真下のほら穴にある契約の箱のさらに真下にはアダムとエバの骨があることまで細かに預言されていたのです。まさに、ここゴルゴダの場所(訳すと、「どくろ」の場所)とは、伝説どおり文字通り本当にどくろの場所だったようです……。