マムレの樫の木

 

「このことは、アブラハムヘの祝福が、キリスト・イエスによって異邦人に及ぶためでありその結果、私たちが信仰によって約束の御霊を受けるためなのです。」(ガラテヤ314

 

 アブラハムは信仰の父として霊的に富んでいただけでなく、精神的にも謙虚で豊かな心と健康と物質にも恵まれた大金持ちでした。払たちの実生活が貧困の呪いから解放され、アブラハムと同じ、豊かな生活になるようイエスの血潮によって物質的祝福も祈り求めましょう。

 

 アブラハムの父テラは昔カルデヤのウルで偶像に仕えたため(シュア242)、三代、四代の呪いを子孫に招いた人でした。しかしその子孫、アブラハム・イサクヤコブは降りかかった数々の呪いを断ち切りながららの道を切り開いて「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神、主」(出エジプト45)と言われるようになり、イエスさま「神の国にアブラハムやイサクやヤコブが入っている。」と言われるほど祝福を受けました

 

イザヤ書四一章八節では「神の友」と呼ばれ、ローマ四章一六節では「信仰の父」と呼ばれたアブラハムの祝福の秘訣は正しい礼拝にあり、アブラハムは祭壇を築いて主を礼拝する習慣のある祈りの人でもありました。主はこのようなアブラハムにマムレののそばで現われて下さいました。

 

アブラハムはこの時、神さまの使いの三人を素通りにさせることはできず、むしろ積極的に願って留まらせ、マムレの樫の木の下で息してもらうように願いご馳走でもてなしました。アブラハムはそこで凝乳と牛乳と料理した小牛を持って来て、彼らの前に供え、給仕したのです。こうして神さまの使いが食べ終えると、その内人が約束の預言を与えました。

 

年老いたアブラハムとサラに来年の今ごろ男の子が与えられるという祝福の約束です。神さまにとって不可能は一つもなく、一年後これが成就してイサクが与えられたのです。主の祝福はいつもアブラハムのようにマムレの樫のの下で神さまの使いをもてなす人に与えられます。

 

たちの場合、それは十字架のの下で神さまに給仕してもてなす、すなわち礼拝を通して実現します。積極的にイエスの十字架の下で神に仕え、礼拝を捧げるその時、全能の神の奇蹟が起きて祝福されす。

 

私たちが祝福を受ける秘訣とは、第一に神に仕えることであり、次に神から遣わされた教会の指導者である牧師に仕え、聖徒に仕えることも祝福の秘訣です(マタイ1042、マルコ941、第一列王記173)。そして特別な神の使いとしての使命あるダヤ人に仕えて祝福することも祝福の秘訣です(創世記123、詩篇12269)。